那覇港管理組合 
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那覇港の歴史
日本の最南端の沖縄県における物流・人流の中心である那覇港は、15世紀に尚巴志が琉球三山を統一したことにより、日本、中国、朝鮮及び東南アジア諸国との交易が盛んになり、琉球の交易の拠点として発展してきました。 
 1264年(文応5年)には王府の国港として泊港(現在の泊ふ頭)に公館(泊御殿)公倉(聖現寺)を設立し、14世紀には中国との通商が始められています。
1422年頃の那覇港の絵図(沖縄県立博物館所蔵) ※ 画象をクリックすると拡大表示します。
 
戦前の那覇港
本格的な港湾としての施設整備は、明治40年に着手し、大正4年には1,200トン級の船舶3隻が同時係留可能となりました。 
 その後、数回の拡張工事が行なわれ、第2次世界大戦前の係留施設は4,500トン級1隻、2,000トン級3隻が同時接岸できるようになっていました。 
 しかし、1944年(昭和19年)の米軍の空襲により那覇港の施設は破壊され、使用不能となりました。
1927年頃の三重城(現那覇ふ頭)での見送り風景)
桟橋架設以前は、旅客や物資を伝馬船で停泊中の船に運んだ
 
戦後の那覇港
 第2次世界大戦後、壊滅した那覇港は米軍に接収され、那覇、泊両港は米軍により大幅な改修工事が施され、那覇港は20,000トン級、泊港は3,000トン級船舶が係留可能となりました。 
 昭和29年、那覇港の北岸が当時の琉球政府に、泊港が那覇市に返還され、それぞれ管理運営されるようになりました。一方、戦後の沖縄経済の復興にともない、港湾取扱貨物量が年々増大し、昭和40年頃から既存のみでは対応ができなくなったため、港湾の機能拡大を図ることが急務となり、安謝地先に新港の開発計画が進められ、昭和44年に着工された同新港は、昭和46年には、水深7.5m岸壁3バース、水深6.0m岸壁1バースが完成し、施設の供用が開始されています。 
 昭和47年の日本復帰を契機に、那覇港北岸、泊港、新港を一体的に那覇市が管理することにより、3港を一元化し那覇港は重要港湾の指定を受けました。 
 当初の那覇港港湾計画は、昭和49年に制定され、本土及び近隣アジア諸国をはじめ、主要離島を結ぶ流通拠点の整備を図るため、新たに浦添埠頭を組み入れ、防波堤、臨港交通施設、小型船だまり場等の整備、埠頭用地、港湾関連用地、緑地等の確保を含めた基本方針を定め、昭和56年における港湾取扱貨物量を740万トン(内貿680万トン、外資60万トン)として計画しています。 
 その後、船舶の大型化や多様化に対応した岸壁の整備、再開発による埠頭能力の向上あるいは、海洋性リゾート等の時代の変化にともなう要請に対応するため、計画の改訂を行ない、平成12年の港湾取扱貨物量を1,240万トン(内貿1,080万トン、外貿160万トン)として、新港埠頭地区の拡充、浦添埠頭地区の北側への展開が位置付けられました。 さらに平成15年には、沖縄振興計画に基づき、那覇港国際流通港湾化を目指し、新たな港湾計画が改定されました。
 那覇港の整備は、この改訂された港湾計画に基づき、新港埠頭地区の水深13mコンテナ船専用岸壁2バースを築造し、構造改革特別区域法を活用した、民間企業によるターミナル運営が開始された。現在、交通体系の充実を目指し、高規格道路である臨港道路那覇空港線や、臨港道路浦添線の整備促進を図っております。さらに、港湾機能の再編を目指し、浦添埠頭水深9m岸壁など整備促進を図っているところです。
 
那覇港歴史年表
1264年 浦添城を居城とした中山英祖が泊港(現在の泊ふ頭)を国港として整備。
1422年 沖縄本島の統一を果たした尚巴志王が、那覇港(現在の那覇ふ頭)を中国貿易などの拠点とした。以後、那覇港は東南アジアや日本本土との中継貿易として栄えた。
1452年 尚巴志の三男尚金福王の時代、那覇港が泊港をしのいで国中第一の港となる。さらに、このころの那覇は海に囲まれた州であったことから、中国人懐機により久茂地のチンマーサーから安里橋(現在の崇元寺橋にいたる海中道路「長虹橋」が築かれ、それ以来、那覇港には諸国の船が錨をおろした。
1609年 薩摩軍により琉球が攻略されるが、明国との交易は認められる。
1853年 米海軍ペリー提督来島。首里城を訪れるとともに本島周辺の海図を作成。
1879年 廃藩置県。火車と呼ばれる汽船が出入港するようになった。
1884年 本土〜沖縄航路(鹿児島・大阪)が開設される。
1907年 築港は各知事の主要事業であり、奈良原知事は、国費にて第一期築港工事に着手、日比、高橋の代を経て大味知事の1915年(大正4年)に完工、1,500トン級の汽船3隻を横づけできる桟橋を架設。
1921年 那覇港に水深-7.5mの岸壁の建設が始まり、1925年(大正14年)に完成。
1944年 米軍の空襲により那覇港の港湾施設が破壊され使用不能となる。
1951年 米軍が那覇港及び泊港の建設工事に着手。
1954年 那覇港北岸、琉球政府に譲渡される。南岸は米軍の軍港地域に指定される。泊港は那覇市に譲渡される。
1969年 那覇市が那覇新港(現在の新港ふ頭)の建設工事に着手。
1972年 本土復帰の直前に那覇港・泊港・新港を一体的に管理運営するため3港を一元化し那覇市が管理、現在の那覇港となる。
1974年 那覇港の港湾計画が築定される。波の上橋・泊大橋・なうら橋の建設等その後の市民生活や産業・観光振興に大きく寄与することとなる計画が盛り込まれる。
1983年 新港第一防波堤が完成する。
1984年 新港ふ頭地区の岸壁(7.5m〜11m)が完成する。
「波の上橋」が開通する。
1985年 「泊大橋」が開通する。
1993年 「なうら橋」が開通する。
1995年 「とまりん」が完成する。
1997年 沈埋トンネル工事着工。
コンテナ専用岸壁(-13m)1バースを供用開始(9号岸壁)。
1998年 ガントリークレーン1号機供用開始。
2002年 那覇港の開発発展と利用の促進を図るとともに、適正で効率的な管理運営を行うことを目的として沖縄県、那覇市及び浦添市の三自治体で特別地方公共団体「那覇港管理組合」を設立する。
2003年 那覇港港湾計画(改訂)が承認され、トランシップ港湾及び海域保全ゾーンの位置づけ等が盛り込まれる。
2004年 ガントリクレーン2号機供用開始。
新港ふ頭地区9号10号バースを特区制度活用により民間事業者が一体的に管理運営を行う「那覇港公共国際コンテナターミナル運営事業」の運営事業者を国際公募。
2005年 「那覇港公共国際コンテナターミナル運営事業」の運営事業者にフィリピンに本社を置くグローバルオペレーターICTSIと県内の港運事業者6社が資本参加する「那覇国際コンテナターミナル株式会社(NICTI)」が決定。那覇港管理組合との間に賃貸借契約を締結する。
港湾計画の軽易な変更により、大型旅客船専用バースの計画位置を新港ふ頭地区から泊ふ頭地区(若狭緑地前面)へ変更。
2006年 日本で初めて純民間企業によるターミナル運営がスタート。那覇国際コンテナターミナル株式会社(NICTI)の運営が始まる。トランシップ貨物を中心とした貨物量の増大により海上輸送コストの低減を目指す。
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